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こどもてれび

子供向けのテレビ番組にあれこれ解説をつけています。『烈車戦隊トッキュウジャー』を題材にして、現在は書き進めております。

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2017|01|07|08|

2017-08-13 マンガ作文・テレビ作文における間接的言語行為のキモ

「俺の顔に泥を塗ってくれてありがとうよ」というBさんの発話を、多くの人はおそらく「AさんがBさんという人物に恥をかかせた件に関して、怒ったBさんがAさんに対して恫喝してみせた」というふうに理解する。しかしもちろんこれは社会文化的な学習によるものであって、その学習を経ていないがしかしある程度の日本語力を習得している子供の場合、そうは受け取らないしそうは受け取れない。

まずこの発話の中に使われている「顔に泥を塗る」という慣用表現の理解がどうか、という問題がある。これは「相手に恥をかかせる」とか「相手の名誉を損なう」といった意味合いで通常使われる。しかし、社会文化的な学習途上にありながら、ある程度は日本語力を習得している子供の場合、「顔に泥を塗って遊んだの?」とか解釈したりするかもしれない。まずここが一点目。

この一点目がクリアされていないと、次の二点目のクリアは不可能であろう。それは「俺の顔に泥を塗ってくれてありがとうよ」という発話を、「恫喝」とか「怒りの表明」とか「脅迫」などと受け取る、という理解力である。というのは、社会文化的な学習途上にある子供はこの発話を「感謝」と受け取るかもしれないからだ。というか、結構な割合でそういう「子供」はたぶんいる。それに対して、日本語を正しく理解しているというのは、「この文は感謝を表明するような形をとってその実恫喝するというように、ストレートな形をとらない婉曲表現によって、自分の強い感情を相手に効果的に伝える、というタイプの言語行為なのだ」といったものになるだろう。

ところが、一点目がクリアされていないのに、二点目だけクリアする、ということも、ある意味では不可能ではないと言いうる。たとえばある種の子供は「Bさんの顔にAさんが泥をうっかり掛けて汚してしまったので、Bさんは怒ってAさんに対して恫喝した」というふうに理解するかも知れない。慣用句の理解の仕方は間違っているが、相手の言語行為を感謝ではなく恫喝であると理解している点では正しい。そういうパターンだ。あるいはほんとうに間違って相手の顔に泥をかけてしまった場合にも、同じような発話が相手から飛び出してくることが絶対無いとは言い切れない、ということも考慮した方が良い。

「顔に泥を塗る」にしろ「○○してくれてありがとうよ」も、相当に自動化した慣用表現ではある。がしかし、これらの表現が必ず絶対100%慣用表現として使われるとは限らない。本当に顔に泥を塗った場合や本当に感謝の意を伝えるときにも、こうした表現を絶対に使わないとは限らない。確かに、そう使ったら紛らわしいから、より慎重な表現を使うのが常識的な配慮ではあるが、常にそうしなければいけないとは限らない。そういうことも考慮した方が良い。

土屋俊氏の「間接的言語行為という偽問題」、『なぜ言語があるのか 土屋俊言語哲学コレクション4』(くろしお出版、2009)というやや難解な論文を読みながらなんとは無しに思ったことを、書いてみたのが以上である。言語行為の理解という問題は、慣用句や比喩やオノマトペの理解と無関係ではないという直感を筆者はもっている。


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