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こどもてれび

子供向けのテレビ番組にあれこれ解説をつけています。『烈車戦隊トッキュウジャー』を題材にして、現在は書き進めております。

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2017|01|07|08|

2017-07-30 特急第01話メモ:テレビ作文を「指導」する側に必要そうな認識に関して

ひかりの「きずいたんじゃない」の発話はらいとに差し向けられたものではない、ということに「生徒」が気付くことは決定的に重要である。ひかりのこの発話は、他の3人つまり、とかっち・みお・かぐらに差し向けられており、かつ聞こえるようになされている。ただし、「きずいたんじゃない」はらいとにも聞こえていることをひかりはわかっており、らいとが応答しても構わないようにはなっている。

のちの発話からわかるように、ひかり・とかっち・みお・かぐらの4人は「あともう1人メンバーがいる」ということを事前に車掌に聞いて知っており、それがらいとであること、そのらいとこそが目の前で倒れて昏睡している人物であるということを、直感的には確信し合っている。らいとによって遮られたとかっちの発話「そお じつわぼくたちずっ」のあとには、「ずっと待っていたんだ」という発話が後続しただろうことが予感できるようにできている。

ひかりの「きずいたんじゃない」は他の3人に向けたものだというのは、まずは他の3人であれば「何に気づいた」のかを省略した発話であっても通じるはずだからである。ただし、らいとが「4人がずっと記憶の回復を待っていた」ということも含めて気付いたのなら、このひかりの発話に応答しても良いようになっている。ひかりの発話は、らいとととかっちの会話に割って入るように、あるいはらいとの発話にかぶせるようにしてなされている。なぜことさらにそうしたのか、その意図までわかるのなら、らいとが応答しても良いんだぜ、というそういう一種の賭けの要素を含んだ発話であったとも見なしうる。

このひかりの発話と、その少し前の「おっ きがついた」とで「きずいた」と「きがついた」とが本質的には「同じ単語」であることに気付くことも、一定年齢以下の生徒の場合重要である。そしてややこしいが、この「気づいた」対象は異なるのだ。「気づいた」と「気が付いた」で意味は同じなのだが、その気づいた対象が違う。そのことを反映させてみよう。

「ひかりは“おっ きがついた”と言った」というふうに書きうる箇所は、たとえば「らいとの意識が戻ったことにひかりは反応してつぶやいた」とでも作文できるだろう。一方、「ひかりは“きずいたんじゃない”と他のみんなに言った」というふうに書きうる箇所は、たとえば「らいとの記憶が戻ったらしいことをひかりは皆に示唆した。そしてそのことをらいとの発話を遮って行なうことでらいとの注意を自分の発話に向けさせた」とでも作文できるだろう。最初の気づいたのは「意識が戻った」であり、二番目の気づいたのは「記憶が戻った」であった、というわけだ。

ちけっとくんの発話に関してメモしておく。この第01話の場合、「ちけっとくんは誰誰に○○と言った」というのは、おおむね「ちけっと君は誰誰に憎まれ口をたたいた」とでも作文できる。ただそうすると、マンガ作文の指導者が往々にして「言った」ばかりを使うのを嫌うのと同じで、ちけっと君の場合いつも「憎まれ口をたたいた」ばかりになって、単調だし日本語として美しくないし、頭を使っていない、というふうに指摘することになる。なので、憎まれ口のあいだにも、差をつけた書き方をしないといけなくなる。

  1. らいと「とおぜん おれもはいってるんだよな」
  2. ちけっと「ふほんいながら」
  3. らいと「よっし」

らいとが車掌に「自分がトッキュウジャーのメンバーに入っている」ことを確認したら、車掌ではなくちけっとくんが応答したくだりである。この発話を「ちけっとくんは質問したらいとに憎まれ口をたたいた」とだけ作文するのは、いかにも何かが不足している。と言って、反対に「らいとは自分がメンバーに入っているかを確認した。入っているという返事がちけっとくんから得られて、らいとは喜んだ」というふうに書くのも、これはこれで、何かが不足している。

ここでの有意味な出来事はこうだ。まず質問した相手は車掌なのに答えたのはちけっとくんであること。次に、らいとはちけっとくんの発話内容に対しては反応しなかったということ。らいとの「返答」というのは、コストパフォーマンスが抜群に良いのが物語を通しての特徴である。即断即決の男なのだ。なので、そのことを重視したい。

「らいとは自分がメンバーに入っているかを、車掌に、何の疑いも無いかのようにして確認した。すると、入っているという返事が車掌からではなく、ちけっとくんのほうから、悪態をつきつつも得られた。態度の悪いちけっとくんから賛同が得られたのを聞いて、らいとは喜んでやる気を見せた」とでも書きうるかもしれない。ちけっとくんですら反対しなかった、他の誰が反対するだろうか、いや誰も反対しないだろう、というわけだ。

「悪人」どうしの会話はだいたいどの子供向け番組でもとても難しい。中学生レベルくらいかもしれない。ここではどの悪人も「皇帝のため」という目的では一致しているが「そのためにどうするか」という手段のレベルでは一致していない、ということをテレビ作文の「指導者」は「生徒」に伝えると良いだろう。物語が進むにつれてこれはたんなる意見の差ではなく忠臣と逆臣の違いであることが徐々にわかってくる。しかしこの第01話だけでわかる必要はむろん無い。

取り急ぎこの辺まで。


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