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こどもてれび

子供向けのテレビ番組にあれこれ解説をつけています。『烈車戦隊トッキュウジャー』を題材にして、現在は書き進めております。

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2017|01|07|08|

2017-01-26 マンガ作文の前に考慮が必要な事柄

国語教師の典型的な学力観の一つに、「与えられた表現を、与えられていない形に変換して表現することが国語の学力だ」というものがある。結論から言えばこれがマンガ作文を推奨できない主な理由になる。というのも、「与えられた表現を与えられていない形で表現する」ために必要な知識や考え方を教師は生徒に教えていないし、そもそも教師自身が知らないからだ。

マンガ作文そのものは、ある意味では容易であると言える一面がある。すなわち基本は全部「心情」で書けばいいからだ。「出来事1の発生→登場人物Aの心情→登場人物Bの心情→出来事2の発生→登場人物Aの心情→登場人物Bの心情」というふうに心情の連鎖に出来事の発生をからめて書けば、終わりである。連鎖は順接の接続詞を使って表現すれば良い。登場人物の心情の多くはマンガの中に文字の形で書かれてはいないから、「与えられた表現を与えられていない形に変換して表現すること」に該当する。なので「良くできました」となる。だが、国語教師の期待に応えない・応えられない子供というのが必ず出てくる。それを「裁判での理想的な証言者」タイプの子供とでも呼べるかもしれない。

「裁判での理想的な証言」というのは、ようするに自分の「解釈」をできるだけ排し、可能な限り事実に基づいて証言するタイプの発話である。これがマンガ作文の「理想」ととことん対立する。マンガ作文で必要なのは、いかにして「自分の解釈」を述べ「事実そのもの」を書かないか、という態度のほうだからだ。その典型が「セリフ」の扱いである。マンガ作文でいちばん嫌われるのは「Aさんは“X”と言った」というふうに、「言った」を使ってとにかくセリフを忠実に再現する書き方である。裁判の証言ならこの態度のほうが好ましい。だがマンガ作文への態度としては「最悪」と受け止められる。

なので、マンガ作文を教える側には「Aさんは“X”と言った」を「Aさんは○○した」という形に変換して、かつできるだけ「マンガ内事実」に密着した形で表現するための、ノウハウを持つ必要がある。そのための知的リソースの一つは明らかに言語行為論系・日常言語学派系の見識だが、それだけでは必要だが不十分である。有用な補助線の一つは「AさんはBさんに聞こえるように、Cさんに向けて“X”と言った」というふうに、誰に向けて言ったのか、誰に聞こえるように言ったのか、ということを明確化するようにしてみる作業だ。特にある種の障碍のある生徒だと、おそらくこの次元での理解が困難であることが予想できる。一方、言語行為論系からの知見(飯野勝巳氏)としては「AさんがCさんに向けて“X”と言った」ことが、Cさんにどの程度のことを強いているか、という観点がある。最低限、返答や聞こえたという合図だけは返さないといけないのか、あるいはそれ以上に発言に応対した行動を採らないといけないのか、それともそれらの必要が特に強くはないのか、といった観点である。

問題解決のための会話や独演というものもある。会話の場合であれば、問題を共有しながら、各自が提案をして「問題解決」や「秩序回復」のために何を行なったのか、どう役立ったのか、という観点からまとめるとやりやすいだろう。そうすれば「Aさんは“X”と言った」→「Aさんは新たな論点を皆に提供した」といった具合に書き換えていくことができる。これは文字や音声での会話だけでなく、独演の形で行なわれる学校等の講義の場合でも適用することのできる見方である。「教師が“XはAである”と述べた」という文が「教師が問題解決のための着眼点を提示した」という文に置き換えていくことができる、というわけだ。


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